朝日村の埋蔵文化財

朝日村の埋蔵文化財の写真1

朝日村の埋蔵文化財包蔵地(地下に遺構や遺物などがある地域)は2019年10月現在,、全部で24か所指定されています。

文化財包蔵地及びその付近に建物を建てたり、工事を行うなど現状を変更しようとする場合は、事前に朝日村教育委員会に協議してください。文化財保護法に基づいて埋蔵文化財の保護、記録保存を行う必要があります。

また、工事中に遺構や遺物が発見されたときは、工事を一時中止し教育委員会までご連絡ください。

文化財は日本国民の宝です。工事・事業を計画する際には事前にご相談ください。

(注意)包蔵地の指定範囲はあくまで目安です。指定地周辺及び指定地外でも遺跡が存在する可能性がありますので、朝日村教育委員会(電話0263-99-4105)にご確認ください。

村内遺跡の概要

No.1 曽倉沢遺跡

過去工事中に大量の土器が採取された。

No.2 駒込遺跡

舟ヶ沢が鎖川に合流する地点の段丘上に立地。縄文時代中期後半の土器片・石器、平安時代の甕、中世の内耳鍋片などが出土。

No.3 穴沢原遺跡

駒込遺跡に続く段丘上に立地。縄文時代中期の土器片出土。

No.4 宮前遺跡

御馬越の八幡神社南東に立地。縄文時代早期の土器片、平安時代の灰釉陶器、中世の内耳鍋・双雀蓬莱鏡が出土。

No.5 中俣沢遺跡

鎖川の最上流に位置する。畑地から縄文時代早期押型文土器・黒曜石製石匙が出土。

No.6 樫俣沢遺跡

樫俣沢合流地点南東の小段丘上に位置。縄文時代中期の土器片・石鏃出土。

No.7 御道開渡遺跡

大舟沢と鎖川合流点より下流の段丘上に位置。黒曜石片出土。

No.8 熊久保遺跡

鎖川の左岸段丘の中段に位置。扇頂部の針尾から下流へ1キロメートル、標高は822メートル、現河床からは標高差10メートル。遺跡の範囲は未確定であるが、東西約300~400メートル、南北100~150メートルあまりに展開する。縄文中期の集落址。

No.9 犬が原遺跡

中央公民館西の段丘上に位置。打製石斧、中世の常滑系甕片、鉄製釘、炭化米が工事中に出土。

No.10 本郷遺跡

本郷集落がある狭い段丘上に位置。平安時代の灰釉陶器片が出土。

No.11 一の沢遺跡

一の沢集落南に形成された段丘上に位置。石鏃、黒曜石片が出土。

 

No.12 芦ノ久保遺跡

芦ノ池南一帯に広がり、村内で最も長期にわたって営まれた遺跡である。縄文時代草創期の有舌尖頭器・中期の土器片、弥生時代の土器片、磨製石鏃、中世の内耳鍋片が出土。縄文時代の大遺跡らしい。

No.13 経塚遺跡

芦ノ久保遺跡の南に位置。縄文時代の土器片が採取されている。

No.14 麦ヶ窪遺跡

横出ヶ崎の南に位置。縄文時代中期の土器片が出土。

No.15 城西遺跡

東京電力新信濃変電所東に位置。縄文時代中期の土器片が出土。

No.16 山鳥場遺跡

中組集落の県道北に位置。縄文時代後期の石剣・耳栓が出土。

No.17 氏神遺跡

向原遺跡の北に位置。縄文時代草創期の有舌尖頭器が出土。

No.18 大日遺跡

氏神遺跡の東に位置。縄文時代中期後半から後期の土器片・石器が出土。

No.19 三ヶ組遺跡

鎖川右岸西洗馬最大の遺跡。縄文時代中期の土器・石器が多数出土。

No.20 中村遺跡

鎖川右岸西洗馬地区に位置。縄文時代中期の土器・ヒスイの垂れ飾り、弥生時代、平安時代の土器が出土。

No.21 向原遺跡

内山沢が形成した扇状地の扇頂部西に位置。昭和60年に試掘調査が行われた。縄文時代草期・前期・中期後半の土器片、平安時代の土器片が出土。

No.22 社宮司遺跡

原新田集落の南西に位置。縄文時代の打製石斧が出土。

No.23 東電南遺跡

東京電力変電所の南側に位置。縄文時代中期の土器片が出土。

No.24 三ヶ組北西遺跡

平成10年秋工場倉庫建設に先立つ試掘調査で、平安時代住居址のカマド部分周辺のみ調査。この期に多い小規模集落の一部か。

朝日村の埋蔵文化財の写真2
遺跡の図面

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 社会教育係

〒390-1188
長野県東筑摩郡朝日村大字古見1286 朝日村中央公民館
電話:0263-99-2004 ファックス:0263-99-3563
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