むらの概要
長野県朝日村の概要を紹介します。
位置・地勢
朝日村は本州のほぼ中央、長野県松本平の西南端に位置し、東は塩尻市、北は松本市、山形村、西は松本市、南に木祖村と境を接しています。
東西15.84キロメートル、南北9.89キロメートル、面積は70.62平方キロメートルでその約87%を山林を占めています。平坦地の標高は740メートルから900メートルに展開していて、日本の屋根といわれる北アルプスと中央アルプスの接点に位置する鉢盛山(2,447メートル)を背にして北東面に緩やかに傾斜しつつ扇状に台地が広がり、住居地・耕地をなしています。
鉢盛山に源を発した鎖川は、野俣沢、中俣沢、樫俣沢などの5大支流を集めて村の中央を流れ、両岸の耕地を潤しながら奈良井川へ注いでいます。
気温は年平均10℃前後で、最高33℃、最低-14℃と準高冷地の気候を示しています。
降雨量は一般に少ない内陸型で、冬期は少なく6・7月に集中しています。年間1,000ミリメートルから1,500ミリメートル程度になっています。降雪は11月中旬から翌年の3月中旬までで、降雪量は平均して30センチメートル前後です。結霜は10月中旬から翌年の5月上旬の間に見られます。
生い立ち
村内には縄文時代の遺跡が各所に見られ特に熊久保遺跡(くまくぼ)からは中期全盛期の遺物が数多く見られることから、およそ4,500年前から人が住んでいたと思われます。
平安時代(794~1185年)は洗馬の牧、鎌倉時代(~1334年)は洗馬の庄と呼ばれ、江戸時代(1603~1867年)に入り、洗馬の郷といわれ、古見村、針尾村、小野沢村、西洗馬村に今の塩尻市洗馬の小曽部、岩垂、本洗馬の各村がこれに属していました。洗馬の郷ははじめ松本藩に所轄されていましたが、元和3年に高遠藩に属し、明治4年藩を廃した高遠県となりました。
その後、筑摩県となり明治9年8月長野県の所轄になりました。また、洗馬の郷7か村から明治6年12月村々合併の令により、翌7年10月、古見、針尾、小野沢、西洗馬の4か村が合併し山本村と称しました。山本村は明治16年一度分村し、元の4か村にもどりましたが、明治22年5月1日、市町村制施行により再び合併し、「朝日村」と称し今日に至っています。
村名の由来
この村の地域が、松本盆地南部の西山麓高原にあって、朝日が一番先にあたること、旭日(きょくじつ)のように輝かしく発展することを祈念してつけられました。
村章
朝日村の頭文字の「ア」を図案化したもので、円は朝日太陽を示し、朝日村の躍進を表します。これは朝日村の清い流れと緑につつまれた自然と村民の団結により力強く躍進発展する姿を象徴するものです。
村民憲章
すこやかな こころ
すこやかな からだ
すこやかな 土づくり
朝日村は、鉢盛山と鎖川にはぐくまれたすばらしい自然肥沃な耕地、そして、縄文のいにしえからの歴史と文化をもった村です。私たちが、この美しい郷土を誇りに思い、豊かな心を育てながら、健康で住みよい村づくりをめざすため、制定したものです。
村勢要覧2017・村紹介パンフレット
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長野県東筑摩郡朝日村大字古見1555-1
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