朝日村の木曽義仲伝説

朝日村の木曽義仲にまつわる伝説のスポットをご紹介します

義仲公園(よしなかこうえん)

木曽義仲が平家追討のため馬で木曽から烏帽子岳(えぼしだけ)の尾根を通り、長峰(ながみね)を越えて来たということから「御馬越(おんまご)」、また、鎖川(くさりがわ)に沿い荊(いばら)を切って道を開いて渡り、初めて広野(ひろの)を見たことに因んで「御道開渡(みどがいと)」という地名が残っている。長峰を越えて来る際に、後続部隊が逗留(とうりゅう)した場所が上から順に「三の厩(うまや)」「二の厩」「一の厩」と呼ばれ、現在「一の厩」には木曽義仲の遺徳を讃える祠(ほこら)が建ち、義仲公園が造られている。

 

 

 

足無神社(あしなしじんじゃ)

平治の乱(1159年)後、「管長須祢彦(すげのながすねひこ)」という平家方の間者(かんじゃ)が木曽義仲の動静を探るべく木曽に来たところ、木曽源氏に発見され、追われて鉢盛山(はちもりやま)を越え逃げてきたが、山中で凍傷になり、足無神社付近まで来て歩行不能となって倒れてしまった。見つけた村人が介抱したが、「俺をこの地に葬ってくれ。足を患う人々を救うから。」と遺言して死んでしまった。気の毒に思った村人がここに葬り、祠を建てて祀(まつ)ったところ、足を患う者が願(がん)をかけると不思議と治ったという。願をかける者は奉納されているわらじの片方を借りて行き、治ればまた一足にして奉納したそうだ。

 

 

 

光輪寺薬師堂(こうりんじやくしどう)

治承4(1180)年、以仁王(もちひとおう)より平家追討の令旨(りょうじ)を受けた義仲は木曽から鳥居峠、烏帽子岳を経て御馬越(おんまご)に達し、鎖川右岸を進んで西洗馬(にしせば)に至った。この時、奈良時代に創建されたと伝わる古薬師(ふるやくし)を山中から移し、平家追討を祈願して新たに薬師堂を建立したといわれる。その際、義仲が桜の若木をこの場にお手植えされたと伝えられているが、その後桜は枯死してしまい、現在あるのは明治34年に植え替えられた二代目の桜である。現在の薬師堂は宝暦10(1760)年に建てられたものであるが、現在の山門の位置は薬師堂の正面にはなく、かつてこの山門から北に向かって今井の兼平(かねひら)神社までまっすぐな檜(ひのき)の木立と道が続いていたことから、それ以前に建てられた薬師堂の存在を暗示している。

 

 

 

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